友達

友達について、なんだか悶々と考えていた。というか、浅井リョウさんの「正欲」をカフェで読み進めたあと、原付になって川沿いを走っていたらもう止められなくなっていた。

 

友達。多分わたしは、知らない間にいろんな友達を困らせて傷つけて、今日まで生きたんじゃないかと思う。躁状態になって、人のプライベートに土足で踏み込んだり、わたしが正しいのであなたが価値観を変えてわたしを受け入れてよ、と思ってみたり、自分は間違っていないと思いたくて一方的に話したり、たくさんしてきたと思う。あの時から普通の平穏なただの女性になれたように思う。でも、確かに「普通の平穏な生活」に今はいるような気もするけれど、どこかあの時のふわふわした現実味のない映画のような感覚はまだあって、躁と現実が横並びになって、どちらの領域にも踏み入れられるような感覚のところで生きている。

 

傷つけた人々に一気に謝りたくなって、1番の親友と久しぶりにメッセージを交わした。親友だけど、あまりたくさんに連絡を取ると、私を漬け込んでしまいたくなる。あの感じが、こわくて、しばらく連絡を取れなかった。他の同級生にも、勝手に、同じような感覚を抱いている。でも実際には、勝手にごめんなさいと思っているだけで、特別気にしている人はもういないんだと思うけれど。そう思う通りに親友は、何を謝るの?と言った様子だった。

 

勝手に気にしているだけだけれど、友達はいますか、と問われて急に不安になる。いると思いたいけれど、わたしは切っちゃったんじゃないだろうか、友達との縁を、と思わざるを得ないような躁が思い出される。

 

ふわふわな世界と、現実的な世界で、友達を蔑ろにしたくないと思いながら、いつか土足で踏み躙っているんではないか。そんなこわさが起こる。

 

どうしたい、とか、解決させたい、とかそんなのはない。別に、本当に最終的な気持ちの落とし所もいまは、あるなあ〜と思うことしかない。ただすんごく考え始めちゃって、こわくなっちゃって、まあでも常に必ず尊敬し続けろってのも大袈裟だし、楽しいと思うこと、楽しんでしたらいいと思うぞ、ということだけ、心に書いておく。

 

はらへった!食うぞ!