トイレに行くまでの時間

 

 

 

今日は雨が降っていた。起きたのは10:30。相方に電気をつけて起こしてもらった。昨日は異常に眠くて、すんなりと眠りに入った。まだ起きるときにもその名残があって、起きても寝た。向こう側で、まだ起きぬのかと眺める君がいる気がした。だから起きた。でも何も始める気がしなかった。

 


さいきんは朝ご飯を食べたら、本を読む。小説を読んでいる。頭と心が続くまで読んだら、本を閉じる。それ以外は手をつけない、となんとなく自分の中にルールがある。何でだろう。いったん忘れたときから続きまでの物語を、じんわりと思い出す脳が気持ちいいのかもしれない。かじかんだ手がお湯を浴びるとき、冷たくて静かに混乱するときのよう。それを読んだらラジオを聴く。ほしい、見たい、聞きたいを、ある時、あるままにできるなら、自分にはやらせてあげたい。できるときに、できると信じて、たくさん物事を食べさせてやる。

 


食べたら疲れる。休憩。

お茶を飲む。時が流れているのを聞きながら、この間、人になにもしないで居てみろと提案しといて、こく一刻と流れゆく時間の恐怖を感じずにはいられない人もいるのだと思って、すこし残酷な提案をしたなあと考えた。何よりもわたしがそうだったし、家族や相方と過ごしていても時間と焦り以外は見えなくなっていた時期があった。ただその時間だとかを手放して、お茶を飲んで、飲み過ぎてトイレにいく時間が、記憶にある少し前を思い出して、ここ数時間も生きていたんだなと安心する。焦っているよりも、今は安心したい。安心して困っていける。たぶん、ずっとこれからもそれを願う。

 


ごはんをたべて、風呂にも入る。実は間にアニメも見た。

もうこれ以上はなくてもいい、充実した一日だった。

 


ありがとう。三分後も十秒後も分からない世界でも、十分に幸せになれる。恨みっこなしに。