コロナウイルスワクチン、完

10月2日、コロナウイルスワクチンの2回目を打ってきた。無事、副反応にぶち当たり、2日間の乱闘の末、何とか文章を書くまでに回復した。これは本当に喜ばしいことだ。最近毎日投稿し始めたインスタのエッセイ漫画のストックが昨日無くなった時は結構絶望した。猫に踏まれながら何とか2枚描いて、命は繋いだけれど、自分で発想や発案をしなくていいもう形の決まっている切り絵はカッターを持っただけでフラフラだったので辞めた。この3日間、成果で行くとインスタ絵2枚。元気な時に、たくさん活動して、きつい時は休むことがどれだけ大事か痛感した。さらに今回は「元気なときに活動する」方がめちゃくちゃ大事だなあと思った。

 

今までは休むことばかりに重きを置いてきたけれど、そうなるとキツくなりすぎない程度に頑張ろうとするばかりで、思いっきり活動に全振りできなかったり、何となくの歯痒さを抱くことも少なくなかった。キツくなりたくなかった。キツいことに気付かずに鬱になりたくなかった。でも、もともと体の体力周期も激しい私は、月に1週間程度は必ず精神的に「きつく」なるし、また身体的にも1週間ほど「きつく」なるのだ。2週間は、自分の思い通りにはならない砂漠化した地を歩む思いで過ごすことが約束されているのだ。それなのに他の2週間も「きつくならないように、きつくならないように」と歩んでいる訳である。オアシスのある草原で。

 

どうせなら、「あー、今月のオアシスも最高だったなあ、潤いすぎたから砂漠にも分けに行くかあ」くらいの気持ちで砂漠期を迎えたいものだ。ずっと疲れたくないことを考えているなんて、もったいない。元気に活動する、可能性を追いかける、無駄を楽しむ、そんな感じ、若い感じのいい感じで。いい感じ、が大事なんだ。そんな感じ。

 

コロナワクチンはあと2週間でしっかり効くようになって、注意はもちろん必要だけれど、とりあえず自分じゃどうしようもない体調不良の可能性がぐんと減って、さらにいい感じに過ごすにはもってこいの新人類になるのだ。こんなものを無料で受けさせてくれた人たち、ありがとうだね。ワクチン接種会場で、子宮頸がん検査を500円で受けられるポスターを見た。本当にものすごくありがたいなあと思った。いつだって、私は誰からも支えられずには立っていられないのだなあと思う。支えてもらって、いつの間にか私も支えて、他立のような、自立のような世界で生きていこうとも思う、いい感じの新人類です。

 

 

 

なんとでもなる

昨日、仕事を変えるべく応募をした職場へ面接に行った。そこで久しぶりに自分の経歴を見て、語ったあと、何だか別に採用にならなくてもいいかもと思った。自分の短い22年の経歴ではあるけれど、なかなかに掴みづらい変わった人だなあと自分で思ってしまった。

 

大学中退して、山に住んで、流れと縁で空き家を借りて生きている。私の基本的な欲求には、「普通になりたい」と「普通になりたくない(奇抜になりたい)」がある。だから、叶いながら叶っていない状態だから自分のことを話すときにいつもよく分からない気持ちになる。嬉しいも恥ずかしいも、打ち消しあって、本当によく分からない。だから、面接をしながら、手応えも別にないので正直今回の職場は落とされるだろうな〜と思っていた。まだどっちかは分からないんだけど。

 

合否はともかく、今回の面接で、どうにかなってきた自分の人生を見たら、別に受かってなくてもいいや、となった。

 

ここには春にはお茶のバイトがあるし、初夏にはいちご、夏には梨のバイトがある。そして自分は、やっぱり自分の作ったものを売ったり、評価してもらったり、日常に持ち込んでもらいたい。やっぱり、何かしらの作家になりたい。アクセサリーと切り絵と本音と動画を作りたい。欲張りなんだ。めちゃくちゃ言いづらいけど、やっぱり思っていること。

 

この先、諦めることが出てくるにしても、やってから諦めたい。やってから、決めていきたい。

 

 

母からラインがあった。

面接はどうだった?と。本音で言ってしまった。

「自分のこと話せたから、別に受かってても受かってなくてもいいや。なんとでもなる!」

 

 

 

 

バカだなあの幸せ

いろいろ訳あって、詳しく書けないことが多いけど、でも今日がたのしいってやっぱりすごいし、思いっきり楽しむのがいいねってここ二、三日思う時間が増えた。

 

前なんて向かなくていいから、バカだなあって笑い合いながら、生きるのが楽しい。悩んでも頑張っても、ほろほろ自然に休める夜が心地いい。

 

こんな調子で進めない日がくるのは分かってるけど、また揺れて、また戻ってきて、バカだなあと笑う。

 

やっぱり、ここが1番幸せ。

 

 

やるぞー!!

気づけば稲が手をいっぱい伸ばして、皆で揺れている季節になった。ついこの間まで、まだ青くて小さくじっとしているしかない葉っぱだった気がするのに。思う以上に、時間が経っている。

 

できれば傷つきたくない。それが本心。不安を引き起こす脅威にも会いたくないし、疲れることもしたくない。いろんな人生の選択肢がある中で、わたしは今、めちゃくちゃ迷っている。次、どう動こうか、と。漫画も描く、動画も撮る、だけどこう、どこか自信を持てるものをひとつ、淡々と学びながらやっていきたい。興味があるものをひとつずつ検索しては、散らかってまた振り出しに戻る。なんてことを、ずっと繰り返している。

 

台風が午後からやってくる。ならば午前中に、と外に出て今がある。スーパーの安いコーヒーを買いに行った。いつも夕方にレジ打ちをしている人が、朝一番からいた。そりゃそうか、生物は朝から動き出す。まだ眠い目を擦りながら、仕事場に向かう人々。決められた生活だから、といって不幸なわけでもない。耳の遠いおばあちゃんのレジをしながら、お金を数えて、ニコニコしている。このままじゃニートまっしぐらなわたしにも、まっすぐな笑顔で返してくれる。

 

なにをしているんだ、わたし。

朝から動き出すことがないから、忘れていた。動いたって不幸じゃない、眠くたって不幸じゃない、決められたって不幸じゃない、上手くいかなくたって不幸じゃない。動く人々を見てハッとする。

 

ちゃんと、動いていこう。そのあとで、どうするかを決めてみよう。今、1番しっくりくる形で。

 

 

よし。

 

やるぞー!!

1億円トイレ

昨日は力尽きて、何も書かなかったけど、今日こそ力尽きて本当にさっきまでの2時間くらいの記憶がない。でもたくさんいいことがあったから、このまま眠ってしまうのがものすごくもったいない。

 

今日はやましょーとともに、いいかなパレットを訪ねるとともにお昼と夜ご飯を食べに行った。飯塚はとってもおいしいお店がたくさんあるから、本当に食べたいものを頼んで、口ん中しあわせ状態をめちゃくちゃ体験した。いつでも食べてた時のしあわせさを鮮明に思い出せるくらい。エクセルブランチとつけ麺やさんにいったぜぃ(名前忘れちゃった)

 

そんでいいかねパレットに1年ぶりに訪問。一年前の自分も1日だけだけど、過ごした場所。感じてた過去の感情を思い出して、あの日からちゃんと自分の道を探して歩いていて、好きなものも興奮するポイントも、ほんの少しだけ分かってきたかなあって、思った。

 

そのあと、車を運転できるようになったわたしは気になっていた周辺を散策。道の駅おおとう桜街道へ。まず入ってすぐ、無人ピアノが鳴り響く。野菜みてても、鳴り響く。シュールやなあ、と思った。トイレに行った。絶妙に豪華。ホテルかと思ったけど、トイレ終わったら道の駅やった。本当にまとまりがなくて、好きだったw

 

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トイレだから、写真撮れんし。

 

川沿いを散歩して、めちゃくちゃいい時間を過ごせて、へんな道の駅にも当たって、楽しすぎた。お互いに、好きなことでこうやって過ごせるのはすごくいいかも。

 

明日はキャンプ場バイトだぜ!!!やめるって、言う日だ。よし。

思う以上に、やれることはたくさんある

題名の一文で言いたいことは言い切っちゃった感じなんですけれども、私、今の環境でやれることはもっともっとあるなあ、ということ。最近、とある趣味の動画を自分で作りたくてMacBookを手に入れたんです。前のパソコンとはもう訳が違くて、スイスイ動くし、もう最高。なんの言い訳をする理由も見当たらず、昨日から撮影したものを翌日編集、今日も撮影して…みたいになんか動いてるんです。あんなに何もできなかったのに。

 

つい最近まで、本当に何にもすることがなくて、何にも心配することもなくて、あれ〜なんで生きてるんだっけ〜みたいな感覚に陥っていたんですが、今日はスイスイ体が動いている。そして動けば動くほど、やれることがあることに気がつくんです。漫画も、アクセサリーも、自分にとってのお宝集めの動画編集も、まだまだいっぱいやれることあるな〜って、感じるんです。

 

今日はもうヘトヘトだし、これを書き終わったら寝ちゃいそうだけど、またゆっくり眠って、明日からじっくり、自分にできることを出していきたい。なんか、そんな決心の日。

スローライフの自覚

今日、不用品回収業者の人に来てもらって、洗濯機二つとマッサージチェアを持って行ってもらった。少し前に、中古の洗濯機を買ったのだけれど、あっという間に壊れてしまって、新品に買い換えたのでこのダブル出費イベントが発生してしまった。失敗と呼んでしまってもいいこのイベントで、いい収穫があった。

 

回収業者の人が、家に来るなり、「心が洗われる〜」と家周辺の自然を見て口にした。私たちが山に引っ越してきた経緯などを話した後、「スローライフなら、こんな場所もありですね」と言い、諸々お値段をおまけしてもらって、でかい3つの不用品と家を後にした。

 

その後、なんとなくドライブをして、コーヒーを飲みながら、衝撃の自覚をした。今、山の中に低価格で暮らしていることに慣れすぎて、「the スローライフ」な生活をしていることを忘れていたのだ。私は人と話すことに抵抗があるから、今の生活について会話の中で振り返ることもないし、最近は文章を書くとネガティヴになってしまうからほんっとうに書きたくなくて控えていた。とことん自分を見つめる機会を遮断して、そして何も分からなくなってしまっていたのである。

 

8月まで、キャンプシーズンで仕事が忙しかったこともあって、体が疲れていくとともに、脳内トリップする時間も減って、考えることがめんどくさくなっていたんだと思う。疲れている時に、ネガティヴになるのも当たり前っちゃ当たり前。だいぶ休息時間を経て、私は生き返りつつあるようだ。

 

最近は頭カッチカチで、「仕事するか、否か」ばかり考えていた。だけど、人生そんなにつまんない選択肢ばかりじゃないや。

 

ベランダの柵にペンキ塗りたい

キャンプして鶏肉を豪快に食いたい

韓国語のかわいい発音をもっと聴きたい

まだ食べたことないものも食べてみたい

海辺でしょうたとキャンプしたい

家族と旅行したい

 

もっといっぱい、叶えていくたびに増えていくんだと思う。

程よく見れる、夢。少しだけ気持ちを浮き立たせてくれるような夢。

 

忙しい世界からの憧れ、大学生の私の憧れだった「スローライフ」の中で、ここじゃないどこかを求めてしまう心をも楽しみながら、生きていけたらいいなと思った1日でした。