ここにいてもいい
永遠に続くものはないけれど、永遠にしてもいいと思えることは奇跡だ。
小学生の頃、ずっとわたしにはこの実家があって、いつまでもこの場所は存在していて、帰ってこられるのだと思っていた。だけどその場所は、そう思い込んだ数年後にはなくなった。家庭内の事情は変わる。幸せに満ちたシーン以外が、たくさん私の脳に拾われるようになっていった。
永遠だと思っていた場所には、もう戻れない。母がいて、父がいて、兄妹がいて、ペットもいて、好きな花が咲いていて、風のよく通る仏間で昼寝をし、机の下に秘密基地を作った。すべてが揃う時も含めてのあの場所はもうない。
そう思うと、今あるすべては奇跡的な一瞬の集まりを見せてくれていて、永遠のように完璧にそこにいてくれる。ずっとここにいていいんだ。それって、すごいことだ。
居場所を探していた。無意識だし、家、場所を探しています!なんて言える身じゃないと思っていた。働いているサラリーマンでさえ、渋る欲望。なおさらフリーターのミーがしていいことじゃないと思っていた。だけど、欲しかった。
偶然の偶然で、家が手に入ってからというもの、脱力に力を込めて過ごしていた気がする。なんでもしていいよ、と聞こえる声に、ならこれはどうだと言わんばかりに脱力した。試していたのかもしれないな、って今になって思う。ずっと要求されてきたような気がしていた、役に立つこと。それを投げた私でも、ここは受け入れてくれるのだろうか。真っ裸で、なにも提供できますと言える価値がなくて、それでもいいのかと、実験していたんだと思うこともできる。
ずっと変わらないものはない。でも、永遠だと思わせてくれた。こちらを向いて笑ってくれた気がした。台所をめちゃくちゃに汚しながら、料理していた時、なんだかとても安心してしまった。
いつかはなくなる。あの実家でさえも、永遠は見させてくれなかった。だけどそれで悲しむことも、前を向くことも経験できた。
自然に力が抜けた。緊張しながら、脱力って難しいな。でも、楽しかった。うち、ここにいてもいいんだな。